2017年6月6日火曜日

キングコングに見る時代の変化

支援員の竹下です。

4月30日、GWの計画を何も考えていなかったので
気の向くままに映画「キングコング髑髏島の巨神」を見に行きました。

 CG技術の発達した今日、

「髑髏島の巨神」のキングコングは、
1976年公開のジョン・ギラーミン監督の実物大コングを作って撮影した「キングコング」と比べると、
早い動きとダイナミックな破壊力で迫力がありました。

但し、髑髏島を守るためには銃弾を受けても死なないぐらいタフなわりには
全く女性には興味を示さないという淡白なコングで意外でした。


ジョン・ギラーミン版「キングコング」は

私が中学一年生の時にクラスの友人と3人で見た思い出があります。

生贄として差し出されるジェシカ・ラング演じるドワンが、
最初は恐怖におののくも意外にも優しく花嫁として向かい入れるコングに安心するという場面で
首から通していた紐がはずれて一瞬胸が見えるところがあります。

私はそれがアクシデントだと思い興奮し、
友達もその一瞬を見逃さなかったことを自慢し、
帰り道、映画の内容よりジェシカ・ラングのお乳の話で盛り上がったのを思い出します。

映画ではコング目線で上からのアングルでしたが、
映画を見た後に買ったパンフレットにはテスト撮影でしょうか、
下のように横から撮ったものが載っていたのを見て
初めてそれが意図的であることに気づきました。







それぐらい自然な演出でした。
コングのドワンに対する愛の表現だったのですね。


その後、コングはニューヨークに連れて行かれ見世物にされますが、
はぐれたドワンを探すため逃げ出します。

そしてドワンを見つけたコングは、
今無き世界貿易センタービルを登り始めます。

銃撃の機会を狙って周辺を軍用ヘリが飛び交う中
殺されるから自分を離してはだめだとドワンは叫びますが、
コングはドワンを安全な場所に移します。

その直後、銃弾を受けビルから落下して死んでしまいます。

体の違う生き物であるがために結ばれないというプラトニックラヴストーリーでした。


あることが障害となって愛が成就しないというこの手の題材は
「ロミオとジュリエット」は両家の反目が、
「シラノ・ド・ベルジュラック」は鼻が、

といった古典から始まり「シベールの日曜日」は年の差が、
「ひまわり」は戦争が、「ある愛の詩」は難病が、
というように障害のカタチを変え純愛の尊さが語り継がれてきました。


「キングコング髑髏島の巨神」のキングコングは髑髏島の守護神として描かれ、
その島からの脱出を試みる人間たちは、
キングコングを殺してしまうと地底から怪物が現れ島の安定が崩れてしまうことを知ります。

第二次世界大戦、ベトナム戦争を経験したアメリカ合衆国も
1976年公開のキングコングが登った世界貿易センタービル崩壊後、
イラク戦争で独裁者を排除してもまたそれによって新たな火種が生まれることを経験します。

その教訓が象徴的に描かれているように感じました。

髑髏島の巨神のキングコングのキヤラクターの変化に
時代の変化を感じるとともに

純粋に愛を描いた「キングコング」が公開された1976年が
戦争と戦争の谷間に咲くあだ花のような一瞬の良き時代のように思え、

中学時代の思い出とともに郷愁に浸りながら映画館を出てきました。


0 件のコメント:

コメントを投稿