かなり間が空いてしまいましたー。
いやあ、ここ数か月めちゃくちゃ忙しかった代表の生熊です。
少しだけ時間的な余裕が出来そうな予感なので、
今、福祉や制度について思っていることと
働くってなんだろうということをテーマに不定期で発信していけたらいいなと思っています。
改めまして、皆様
今年もよろしくお願いします。
まずは近況ですね。
小休止に入る前の記事でもお伝えしましたが、
12月に同法人で新しい就労継続支援A型の事業所を立ち上げました。
名前は平仮名で「あんじゅう」
「あ」と「ん」という
50音の最初と最後の文字を持ってくることで最初から最後までという意味をもち
また、口を開けて発音する「あ」と口を閉じて発音する「ん」で呼吸の意味もあったり。
「じゅう」は「充」や「住」や「終」など様々な意味や解釈を勝手に想像して考えて欲しいという思いで
あえて「ひらがな」にしました。
漢字にすると意味が限定されてしまうのが嫌だったのです。
どの解釈もOKだし正解!
ちなみに「JiRiTs」は「自律」という日本語を英語表記にしたものだったので
次は英語を日本語表記にしようと思ったのがきっかけです。
声に出して発音とか色々考えましたが
「あなたはどう?」という促す言葉のand you?の日本語表記として「あんじゅう」を選択しました。
and you?というのは次はあなたが意見を言ったり主役になる番ですよ。とういう意味があり
様々な人の声や気持ちが聞きたいという思いを込めて。
会社には色んな人が集まってきます。
この色んな人がいることで楽しい!と思えることや
素敵だなと思えることがいっぱい起こるのですが…
それと同じくらいトラブルも多いです。
私は、トラブルも人間らしくて好きなのですが、
そうはいってもトラブルによって他の人の働く権利が侵害されてはいけないので
ある一定のルールを設けています。
それは「誰の言う事も聞かない」というルール。
例えばAさんの言うこととBさんの言うことがまったく真逆の場合
Aさんは「暑い」と言っているけど
Bさんは「寒い」と言っている場合
エアコンはどちらの感覚に合わせて温度を決めるのか?というような場合です。
難しいケースなら「話し合って…」という対応になりますが
エアコンなんて簡単に温度設定が変えられるので、つい「はいはい」なんて対応していませんか?
しかし、どちらかの意見に合わせて温度を設定してしまうと
AさんとBさんはトラブルになります。
AさんはBさんの所為で「もっと暑くなった!」と言うでしょうし
BさんはAさんの所為で「寒くてたまらない!」と不満が出るでしょう。
本来は職場の室温ということが問題なのに
Aさんが悪い、Bさんが悪い、というトラブルに発展していきます。
そして最終的にはAさんからもBさんからも
「この会社は配慮してくれない!」という苦情に繋がっていきます。
福祉に従事すると「配慮」とか「支援」という言葉を使って「特別な扱い」を求められる事も多くあります。
しかし、この「特別な扱い」は、それ以外の多くの人への「配慮」がないと同じです。
だから「誰の言うことも聞かない」というルールはとても大切です。
例えばさっきの室温の場合
個人の感覚である「暑い」「寒い」に従うのではなく
職場の室温は多くの人が快適だと感じる冬場は22度と決めてしまいます。
その温度の設定で「暑い」と感じる人は着るものを少なくしたり窓側の席に移動してもらう事ができますし
その温度の設定で「寒い」と感じる人は沢山着込んで毛布や電気カーペットを持ち込めます。
この自分で自分の感覚に合わせて調節し、
そのために器具が私物を持ち込むことを許可するのが「配慮」であり
例えば使いたい器具があるけど障がいによってうまく使えない時にヘルプをするのが「支援」です。
特に弊社はトラブルがあった時に一方だけの話を聞くということはありません。
双方の話を聞いて「何が起きたのか?」という問題の把握をします。
それに対して会社で新たなルールが必要だと感じた場合は様々なヒアリングをして決めます。
色んな人が居るからこそ、権利は平等に会社は中立に^^
難しい事ですが、そしてこれからも様々トラブルは起こると思いますが
それも含めて「会社」なのでね、これからも個々に対応しながらひとつひとつ積み上げていきたいと思います。
ちなみに、ただいま弊社で働いてもらえる人を募集しています。
障がいが「ある」「なし」
60代、ひとり親、性別等不問です。
利用者さんもスタッフもどちらも募集です!
詳しくはお近くのハローワークか
弊社まで(06-6476-7090)お電話ください。
それでは、また!
2018年3月4日日曜日
2017年10月21日土曜日
感謝の気持ちと畏怖の念
年を取ると月日の経つのが早いですね。
このまえ花見のブログを乗せたと思ったらもう秋のお彼岸です。
この心地よい秋の季節を長く楽しみたい支援員の竹下です。
このまえ花見のブログを乗せたと思ったらもう秋のお彼岸です。
この心地よい秋の季節を長く楽しみたい支援員の竹下です。
お盆はお寺で先祖の戒名を読み上げてもらい
檀家の人たちと仏説阿弥陀経を唱える行事に参加し、
それから約一か月後にはお彼岸でお墓参りと宗教儀式が続くと
宗派について考えたりします。
私の家は浄土真宗なのですが、
現世利益を求めてしまう私には何となく縁遠いような気がしていました。
檀家の人たちと仏説阿弥陀経を唱える行事に参加し、
それから約一か月後にはお彼岸でお墓参りと宗教儀式が続くと
宗派について考えたりします。
私の家は浄土真宗なのですが、
現世利益を求めてしまう私には何となく縁遠いような気がしていました。
私は20歳代半ばまでは、
順調に思い通りにやってくることができたということもあってか
無神論を通してきました。
学生時代にアルベール・カミユの影響を受け宗教は無力であり、
必ずしも救われることのない宗教に頼るのは
心の弱い人だという考えを持っていました。
30歳という節目に差し掛かったあたりから何も進展しない自分に挫折を覚え、
無力を実感しました。
困難を超えるのは意志の力だけだということに自信がもてなくなりました。
そのときはじめてよりどころのない空虚さを感じました。
人如何に生くべきか的な本を読みあさり
必死で自分と現実との間隙をうめようとしました。
そういった哲学的なものに触れる時、
たとえとしてわかりやすく触れるのが宗教で、
悩めば悩むほど最終的に行きつくところなのだと実感しました。
あまり特定せず儒教、道教、仏教など
様々な考え方やものごとのとらえ方を知ることで乗り越えてきました。
順調に思い通りにやってくることができたということもあってか
無神論を通してきました。
学生時代にアルベール・カミユの影響を受け宗教は無力であり、
必ずしも救われることのない宗教に頼るのは
心の弱い人だという考えを持っていました。
30歳という節目に差し掛かったあたりから何も進展しない自分に挫折を覚え、
無力を実感しました。
困難を超えるのは意志の力だけだということに自信がもてなくなりました。
そのときはじめてよりどころのない空虚さを感じました。
人如何に生くべきか的な本を読みあさり
必死で自分と現実との間隙をうめようとしました。
そういった哲学的なものに触れる時、
たとえとしてわかりやすく触れるのが宗教で、
悩めば悩むほど最終的に行きつくところなのだと実感しました。
あまり特定せず儒教、道教、仏教など
様々な考え方やものごとのとらえ方を知ることで乗り越えてきました。
いろいろな考え方やとらえ方を学ぶうちに
20歳代半ばまで順調にきたのは自分だけの力だけではないことに気づき
30歳の挫折は自分自身の驕りに天罰が下ったと思いました。
宗教によって表現が違いますが
何かしら力の存在というものをそれ以来感じるようになりました。
自分の中で今現在無事でいられる感謝の気持ちと
悪いことができない畏怖の念を抱き始めました。
今でも自分は特定の宗教に属していませんが、
悩んだ挙句私が行きついたのはそういうところです。
20歳代半ばまで順調にきたのは自分だけの力だけではないことに気づき
30歳の挫折は自分自身の驕りに天罰が下ったと思いました。
宗教によって表現が違いますが
何かしら力の存在というものをそれ以来感じるようになりました。
自分の中で今現在無事でいられる感謝の気持ちと
悪いことができない畏怖の念を抱き始めました。
今でも自分は特定の宗教に属していませんが、
悩んだ挙句私が行きついたのはそういうところです。
7月15日から9月3日まで
奈良国立博物館で開催されていた特別展「地獄極楽への扉」を見てきましたが、
あの世も因果応報の世界観で現世と同じだと感じました。
死後の世界観を説いた恵心僧都源信は、
現世いかに生くべきかを伝えるために死後の世界を伝えたのだと思います。
人々の声を感じ苦悩から救うといわれる観音菩薩は阿弥陀如来の脇侍を務め
あの世に旅立つときは真っ先に迎えに来ます。
また信じれば願いを叶え決して空しい思いをさせないといわれる不空羂索観音の頭にある化仏は阿弥陀如来です。
そう考えると浄土真宗も決して無縁ではないと感じました。
様々な考え方やとらえ方に触れることで気づかされることが多いので、
何事も真正面からとらえるだけでなく
あらゆる側面から見つめることが大切だと思います。
来年のお盆で唱える仏説阿弥陀経は気持ちの上で違ったものになりそうです
奈良国立博物館で開催されていた特別展「地獄極楽への扉」を見てきましたが、
あの世も因果応報の世界観で現世と同じだと感じました。
死後の世界観を説いた恵心僧都源信は、
現世いかに生くべきかを伝えるために死後の世界を伝えたのだと思います。
人々の声を感じ苦悩から救うといわれる観音菩薩は阿弥陀如来の脇侍を務め
あの世に旅立つときは真っ先に迎えに来ます。
また信じれば願いを叶え決して空しい思いをさせないといわれる不空羂索観音の頭にある化仏は阿弥陀如来です。
そう考えると浄土真宗も決して無縁ではないと感じました。
様々な考え方やとらえ方に触れることで気づかされることが多いので、
何事も真正面からとらえるだけでなく
あらゆる側面から見つめることが大切だと思います。
来年のお盆で唱える仏説阿弥陀経は気持ちの上で違ったものになりそうです
2017年10月16日月曜日
注目!!スタッフ人材急募です!
日曜日もドミノピザ食べてお仕事頑張りました。
近くにあるので持ち替えりが出来てとっても便利です。
わたくし断然デリバリーピザはドミノ派です。
しかも、お料理に乗っているパイナップル、結構好きなんですよw
Mサイズを全部ひとりじめしました。
と言っても日曜なので、わたくし一人しかいないのですが。。
こんばんは、代表の生熊です。
突然ですが
今回は人材募集をさせてください。
◯パートスタッフ
荷受け、仕分け、包装など軽作業パート(募集2名)
webページ作成などパソコン業務(募集1名)
9:00~15:00(30分休憩)
10:00~16:00(30分休憩)
時給 950円
週4日~5日勤務
休日は土曜、日曜、祝日
(求める人材)
イラストレーター、フォトショップを使ってお仕事の経験がある方
物流や倉庫でピッキングや配送に係わったことのある方
webショップの運営に興味のある方
アニメやアニメグッズ、フィギアに詳しい方
レギュラースタッフ
支援員(募集1名)
8:30~18:00(60分休憩)
月給 18万(試用期間3か月間は15万)
社会保険、厚生年金、雇用保険あり
(求める人材)
社会福祉士の資格をお持ちの方は優遇!
日常会話程度の手話が使える方はさらに歓迎!!
どちらも性別年齢不問
募集期限:2017年11月末日
※定員になりましたら期限内でも募集を停止します。
お問合せ:06-6476-7090(代表)
メール:info@jirits.net
※ホームページの「お問合せ」のフォームからもご応募いただけます。
是非、沢山のご応募をお待ちしております。
お仕事が多すぎて、忙しすぎてスタッフが足らない状況が続いています。汗
さらに、定員の関係から
12月に新事業所を立ち上げますので、
働いてくれるスタッフが居ないとどうにもならない状況です。
レギュラースタッフ以外は、特に福祉に興味がなくてもOK。
働く仲間は障がい者ですが、仕事に関しては障がい者かどうかなど関係ないので、
一緒になって頑張っていただきたいと思います。
反対にレギュラースタッフには福祉と人権への深い洞察と専門性を求めています。
特に就労と福祉には相容れない矛盾した問題がいくつも点在しています。
その矛盾点をしっかりと意識しながらも
利用者さんがどうすれば
「私は労働を提供できる一個人である」という事実を受け止めて
積極的に仕事が出来るのかというのを
一緒に考えて行動していただきたいと思います。
ハローワークに出すよりも早く、自社のホームページで募集が出来たので満足^^
それでは新事業所の立ち上げで書類の山との戦いに戻ります。
こんな私に時間をくれ!!
では、またね。
近くにあるので持ち替えりが出来てとっても便利です。
わたくし断然デリバリーピザはドミノ派です。
しかも、お料理に乗っているパイナップル、結構好きなんですよw
Mサイズを全部ひとりじめしました。
と言っても日曜なので、わたくし一人しかいないのですが。。
こんばんは、代表の生熊です。
突然ですが
今回は人材募集をさせてください。
◯パートスタッフ
荷受け、仕分け、包装など軽作業パート(募集2名)
webページ作成などパソコン業務(募集1名)
9:00~15:00(30分休憩)
10:00~16:00(30分休憩)
時給 950円
週4日~5日勤務
休日は土曜、日曜、祝日
(求める人材)
イラストレーター、フォトショップを使ってお仕事の経験がある方
物流や倉庫でピッキングや配送に係わったことのある方
webショップの運営に興味のある方
アニメやアニメグッズ、フィギアに詳しい方
レギュラースタッフ
支援員(募集1名)
8:30~18:00(60分休憩)
月給 18万(試用期間3か月間は15万)
社会保険、厚生年金、雇用保険あり
(求める人材)
社会福祉士の資格をお持ちの方は優遇!
日常会話程度の手話が使える方はさらに歓迎!!
どちらも性別年齢不問
募集期限:2017年11月末日
※定員になりましたら期限内でも募集を停止します。
お問合せ:06-6476-7090(代表)
メール:info@jirits.net
※ホームページの「お問合せ」のフォームからもご応募いただけます。
是非、沢山のご応募をお待ちしております。
お仕事が多すぎて、忙しすぎてスタッフが足らない状況が続いています。汗
さらに、定員の関係から
12月に新事業所を立ち上げますので、
働いてくれるスタッフが居ないとどうにもならない状況です。
レギュラースタッフ以外は、特に福祉に興味がなくてもOK。
働く仲間は障がい者ですが、仕事に関しては障がい者かどうかなど関係ないので、
一緒になって頑張っていただきたいと思います。
反対にレギュラースタッフには福祉と人権への深い洞察と専門性を求めています。
特に就労と福祉には相容れない矛盾した問題がいくつも点在しています。
その矛盾点をしっかりと意識しながらも
利用者さんがどうすれば
「私は労働を提供できる一個人である」という事実を受け止めて
積極的に仕事が出来るのかというのを
一緒に考えて行動していただきたいと思います。
ハローワークに出すよりも早く、自社のホームページで募集が出来たので満足^^
それでは新事業所の立ち上げで書類の山との戦いに戻ります。
こんな私に時間をくれ!!
では、またね。
2017年10月15日日曜日
大切にしたい目に見えない価値
段々何を書いていけばいいのか、ネタが無くなってきて困っている新名ですヽ(^o^)丿
何を書いていきましょうか?
最近目にしたある芸人さんが言っていた一つの言葉にとても引き込まれました。
『信用は現金化できる』
お金がまわる理由は「信用」と「恩の力」と書かれていました。
お金持ちを羨ましいと思いますか?
何よりもお金が大事ですか?
綺麗事ではなく生活していくのにお金は大事ですし私もお金は大好きです。
ですが羨ましいとは思いません。
生きていくのにお金よりも大事な物の方が多くないですか?
それは信用だったり、環境だったり、人間関係だったり・・・
色々あると思いますがお金で買えない物の方が価値があると思いませんか?
何をするにも『信用』は大事ではないでしょうか?
極端な話をすると
お金持ちで口先ばっかりの人とお金持ちではないけれど有言実行する人
どちらが信用できますか?
小さな信用が積み重なると大きな信用になります。
塵も積もれば山となると思っています。
これは逆でもありうる事です。
ですが信用は一日や二日で出来るものではないですよね。
人は日々の行動や言動で段々信用していくものだと思います。
ミラー現象って知っていますか?
私は最近知りましたし、まだあまり深くはわかっていません・・・笑
でも分かった事が一つ、とても当たり前な事ですが
自分がした事は全部自分に返ってきます。
優しくすると、優しくされる
微笑みかければ、微笑んでくれる
その反対もありますよね
自分が嫌いな人や苦手な人は、相手もそう思っているかもしれません。
苦手な人や嫌いな人にとった自分の行動や言動はいづれ自分に返ってきます。
それはプライベートでも仕事でも同じじゃないかなと思います。
私自身仕事をしていく上で最も大事なのは、学力ではないと感じています。
そうです、ブログをよく読んでくださっている方はもう分かっていると思いますが私に学力はありません。
ですが私にはいつも楽しく働ける場所があります。
楽しく過ごしていける生活があります。
今自分が楽しく活き活きと働けたり、楽しく過ごせるのはなぜか?と考えてたどり着いた所は
素直な心と人との信頼関係だと思います。
クライアント様と会社との信頼関係もそうですが
一緒に働いている人を信用できないと良い仕事は出来ないと思いませんか?
何が一番の信用になるのでしょうか?
仕事が早く出来るのがいいですか?
ミスなく丁寧に作業するのがいいですか?
毎日遅刻せずに出勤するのがいいですか?
色々な人とコミュニケーションが取れるのがいいですか?
色々な答えがあり人それぞれ答えは違うと思いますが
どの答えも正解だと思います。
その信用が未来に繋がるんじゃないかな?と思います。
職場で信頼関係が築けるとお仕事が増えます、
頼られます、時間が延びたり、時給が上がるでしょう。
プライベートでも信頼関係があれば人が集まってきます、
何かあった時助けてくれる人がいるでしょう。
私は何においても信用、信頼関係が一番大事かなと思います。
何を書いていきましょうか?
最近目にしたある芸人さんが言っていた一つの言葉にとても引き込まれました。
『信用は現金化できる』
お金がまわる理由は「信用」と「恩の力」と書かれていました。
お金持ちを羨ましいと思いますか?
何よりもお金が大事ですか?
綺麗事ではなく生活していくのにお金は大事ですし私もお金は大好きです。
ですが羨ましいとは思いません。
生きていくのにお金よりも大事な物の方が多くないですか?
それは信用だったり、環境だったり、人間関係だったり・・・
色々あると思いますがお金で買えない物の方が価値があると思いませんか?
何をするにも『信用』は大事ではないでしょうか?
極端な話をすると
お金持ちで口先ばっかりの人とお金持ちではないけれど有言実行する人
どちらが信用できますか?
小さな信用が積み重なると大きな信用になります。
塵も積もれば山となると思っています。
これは逆でもありうる事です。
ですが信用は一日や二日で出来るものではないですよね。
人は日々の行動や言動で段々信用していくものだと思います。
ミラー現象って知っていますか?
私は最近知りましたし、まだあまり深くはわかっていません・・・笑
でも分かった事が一つ、とても当たり前な事ですが
自分がした事は全部自分に返ってきます。
優しくすると、優しくされる
微笑みかければ、微笑んでくれる
その反対もありますよね
自分が嫌いな人や苦手な人は、相手もそう思っているかもしれません。
苦手な人や嫌いな人にとった自分の行動や言動はいづれ自分に返ってきます。
それはプライベートでも仕事でも同じじゃないかなと思います。
私自身仕事をしていく上で最も大事なのは、学力ではないと感じています。
そうです、ブログをよく読んでくださっている方はもう分かっていると思いますが私に学力はありません。
ですが私にはいつも楽しく働ける場所があります。
楽しく過ごしていける生活があります。
今自分が楽しく活き活きと働けたり、楽しく過ごせるのはなぜか?と考えてたどり着いた所は
素直な心と人との信頼関係だと思います。
クライアント様と会社との信頼関係もそうですが
一緒に働いている人を信用できないと良い仕事は出来ないと思いませんか?
何が一番の信用になるのでしょうか?
仕事が早く出来るのがいいですか?
ミスなく丁寧に作業するのがいいですか?
毎日遅刻せずに出勤するのがいいですか?
色々な人とコミュニケーションが取れるのがいいですか?
色々な答えがあり人それぞれ答えは違うと思いますが
どの答えも正解だと思います。
その信用が未来に繋がるんじゃないかな?と思います。
職場で信頼関係が築けるとお仕事が増えます、
頼られます、時間が延びたり、時給が上がるでしょう。
プライベートでも信頼関係があれば人が集まってきます、
何かあった時助けてくれる人がいるでしょう。
私は何においても信用、信頼関係が一番大事かなと思います。
2017年9月17日日曜日
A型事業所だからこそ意識したい「わかっていても難しい」こと
台風や嵐は割りと好きな代表の生熊です。
雷とかでテンションが上がるタイプです。。
先ほど地下鉄で沢山のご婦人グループに囲まれましたが、
この連休を使ってのお出かけなのでしょうね。
台風にも負けないお喋りで、
雨が降っていてもきっと楽しいんだろうなぁと何だか微笑ましくなりました。
ちなみに、わたくしは諸事情ありまして3連休中2日は仕事です^^;;
その諸事情についてはまた後日。
さて、
前回からしばらくありましたが
今回も「わかっているけど難しい」という案件をテーマにします。
それは「他人と一緒にグループで仕事をする意義」です。
ある一つのプロジェクトや業務に対して
担当ごとにメンバーを割り当てて仕事をすることで
一人でするよりも多くの量をこなすことが出来るし
補い合ってさらに上質な仕事が出来る
というものなんですが、、
私は、結構この方法が好きで
様々に応用して多様な業務をこなすようにしています。
組織という言葉はあまり好きではないのですが
それでも、複数の人がいて役割分担が出来ると
そこは必然的に「組織」となるので、
「組織」には必要な方法であり、推奨していくべき方法である、、というのは
わかってます。そりゃそうなんです。。
でも・・・
という所に今回はちょっとスポットを当てます。
突然ですが・・・
わたくし、
めちゃ器用なんです。
さらに理解も早く要領がよい方です。
生き方は超ド下手でぶきっちょなのに
何でもスピーディーにちゃきちゃきこなします。
さらに、同時に20件~30件ほどの複数の仕事のスケジュール管理が出来ますし
かなり高い記憶力の持ち主です。
この器用さと高い記憶力と管理能力で
はっきり言えば仕事は一人でバリバリ出来ます。
むしろ一人で仕事をする方が、気楽ですし早いですし失敗も間違いもありません。
まるでイイコトばかりのように見えますが、、
一人で何でも出来るといっても
一人で出来ることには限りがあります。
いくらレバレッジをかけて最小の動きで最大を求めようとしても
複数の案件を一度にこなすことも体は一つなので不可能ですし
とにかく1日の時間が24時間と決められている以上
必ず限界がきます。
しかも、一人は足が止まってしまうと最後、
誰にも助けを求められないため、全ての仕事がストップしてしまいます。
それを思いますと
「他人と一緒にグループで仕事をする意義」がはっきりと見えてきます。
一人で仕事をしているんじゃないんだ!という安心感と
それでいて、あなたが居ないと仕事にならないんだという存在の必要性
職場で上記のグループの意義というのが
充分に感じられるようになっているか、と時々不安に思うのですが
ただ、これは中々に伝わりづらいのも事実。
グループで取り掛かることで、
責任の所在がよくわからなくなったり
グループで動いているからこそ、
自分の思い通りに進まないことでイライラしたりもします。
さらにグループ内での情報共有に四苦八苦し、
ミスが連発することになったり
スキルの熟練度がバラバラで
どうしても出来る人に仕事が集中したりなど
グループだからこそいつでも問題は山積みです^^;;
これを走りながら修正し、
また新しい案件が舞い込めば走りながら組織化しているので
みんながアタフタしながら付いてきています。
それでも、付いて来られるなら
これはこれでいいかぁ、と思っていたのですが、
ふと気付いて周りを見渡すと、
私のスピードが速すぎて全員がついてくるだけに必死で
さらにそれを仕事として捌ける人が私一人で
指示待ちの人ばかりが出来てしまっていることに気がつきました。
以前にも似た状況がありまして、
こうなると私がパンクをしてしまうことになりかねませんので
とにかく「指示待ち」の状況だけは避けたかったのですが、、
うーん、、よくない。
本当にこれはよくないんですが、業務は止めることができないので、
今は、なんとかそれぞれの役割が上手く合致するように、
あれやこれやを試しながら進めています。
「他人と一緒にグループで仕事をする意義」は充分にわかっていても
わかっているからといってすぐに上手にいくものでもない。
トライ&エラーを繰り返しながら、
その都度見直して修正が出来ることで
ようやく利益を生むベースが出来上がるのだろうと思っています。
私はA型事業所だからこそ、この「組織化」を特に意識しています。
利用者さんの持つ資質にレバレッジをかけて業務に上手に取り入れ、
さらに組織化することでしか、「利益」を追求することは難しいでしょう。
A型事業所に求める国の方針が云々という話はしたくありませんが、
利用者さんを「人材」として雇用している以上、
人材の活かし方と業務の「組織化」を考え続けることが使命であろうと思います。
それを考えると
バランスを取りながらもなんとか形に出来ているのが弊社の強みかな?とも思います。
もうすぐ、私が代表としてこの会社を引き継いで1年。
この強みをきちんと形として落とし込みながら
「利益を生み、利用者さんに還元できる」JiRiTsにしていきたいと思っています。
ただ、制度も変わっていきますし、
今の業務そのままずっと続くとも限りませんし、
道は真っ直ぐではなくて、ウネウネ寄り道、回り道あると思いますが
それでも、何だかんだで突っ走っていきますので
これからもみなさまよろしくお願いします。
雷とかでテンションが上がるタイプです。。
先ほど地下鉄で沢山のご婦人グループに囲まれましたが、
この連休を使ってのお出かけなのでしょうね。
台風にも負けないお喋りで、
雨が降っていてもきっと楽しいんだろうなぁと何だか微笑ましくなりました。
ちなみに、わたくしは諸事情ありまして3連休中2日は仕事です^^;;
その諸事情についてはまた後日。
さて、
前回からしばらくありましたが
今回も「わかっているけど難しい」という案件をテーマにします。
それは「他人と一緒にグループで仕事をする意義」です。
ある一つのプロジェクトや業務に対して
担当ごとにメンバーを割り当てて仕事をすることで
一人でするよりも多くの量をこなすことが出来るし
補い合ってさらに上質な仕事が出来る
というものなんですが、、
私は、結構この方法が好きで
様々に応用して多様な業務をこなすようにしています。
組織という言葉はあまり好きではないのですが
それでも、複数の人がいて役割分担が出来ると
そこは必然的に「組織」となるので、
「組織」には必要な方法であり、推奨していくべき方法である、、というのは
わかってます。そりゃそうなんです。。
でも・・・
という所に今回はちょっとスポットを当てます。
突然ですが・・・
わたくし、
めちゃ器用なんです。
さらに理解も早く要領がよい方です。
生き方は超ド下手でぶきっちょなのに
何でもスピーディーにちゃきちゃきこなします。
さらに、同時に20件~30件ほどの複数の仕事のスケジュール管理が出来ますし
かなり高い記憶力の持ち主です。
この器用さと高い記憶力と管理能力で
はっきり言えば仕事は一人でバリバリ出来ます。
むしろ一人で仕事をする方が、気楽ですし早いですし失敗も間違いもありません。
まるでイイコトばかりのように見えますが、、
一人で何でも出来るといっても
一人で出来ることには限りがあります。
いくらレバレッジをかけて最小の動きで最大を求めようとしても
複数の案件を一度にこなすことも体は一つなので不可能ですし
とにかく1日の時間が24時間と決められている以上
必ず限界がきます。
しかも、一人は足が止まってしまうと最後、
誰にも助けを求められないため、全ての仕事がストップしてしまいます。
それを思いますと
「他人と一緒にグループで仕事をする意義」がはっきりと見えてきます。
一人で仕事をしているんじゃないんだ!という安心感と
それでいて、あなたが居ないと仕事にならないんだという存在の必要性
職場で上記のグループの意義というのが
充分に感じられるようになっているか、と時々不安に思うのですが
ただ、これは中々に伝わりづらいのも事実。
グループで取り掛かることで、
責任の所在がよくわからなくなったり
グループで動いているからこそ、
自分の思い通りに進まないことでイライラしたりもします。
さらにグループ内での情報共有に四苦八苦し、
ミスが連発することになったり
スキルの熟練度がバラバラで
どうしても出来る人に仕事が集中したりなど
グループだからこそいつでも問題は山積みです^^;;
これを走りながら修正し、
また新しい案件が舞い込めば走りながら組織化しているので
みんながアタフタしながら付いてきています。
それでも、付いて来られるなら
これはこれでいいかぁ、と思っていたのですが、
ふと気付いて周りを見渡すと、
私のスピードが速すぎて全員がついてくるだけに必死で
さらにそれを仕事として捌ける人が私一人で
指示待ちの人ばかりが出来てしまっていることに気がつきました。
以前にも似た状況がありまして、
こうなると私がパンクをしてしまうことになりかねませんので
とにかく「指示待ち」の状況だけは避けたかったのですが、、
うーん、、よくない。
本当にこれはよくないんですが、業務は止めることができないので、
今は、なんとかそれぞれの役割が上手く合致するように、
あれやこれやを試しながら進めています。
「他人と一緒にグループで仕事をする意義」は充分にわかっていても
わかっているからといってすぐに上手にいくものでもない。
トライ&エラーを繰り返しながら、
その都度見直して修正が出来ることで
ようやく利益を生むベースが出来上がるのだろうと思っています。
私はA型事業所だからこそ、この「組織化」を特に意識しています。
利用者さんの持つ資質にレバレッジをかけて業務に上手に取り入れ、
さらに組織化することでしか、「利益」を追求することは難しいでしょう。
A型事業所に求める国の方針が云々という話はしたくありませんが、
利用者さんを「人材」として雇用している以上、
人材の活かし方と業務の「組織化」を考え続けることが使命であろうと思います。
それを考えると
バランスを取りながらもなんとか形に出来ているのが弊社の強みかな?とも思います。
もうすぐ、私が代表としてこの会社を引き継いで1年。
この強みをきちんと形として落とし込みながら
「利益を生み、利用者さんに還元できる」JiRiTsにしていきたいと思っています。
ただ、制度も変わっていきますし、
今の業務そのままずっと続くとも限りませんし、
道は真っ直ぐではなくて、ウネウネ寄り道、回り道あると思いますが
それでも、何だかんだで突っ走っていきますので
これからもみなさまよろしくお願いします。
2017年9月4日月曜日
人生に一度あるかないかの体験
人生に一度あるかないかの体験といわれて何を想像されますか?
それはゴルフのホールインワンです。
ゴルフを知らない人には、わからないと思いますので少し説明します。
ゴルフを行っている方ならばホールインワンのすごさがわかると思います。
ホールインワンとはゴルフのショートホールまたは、
PAR3と呼ばれるホール(3打でカップに入れれば良い)で、
1打でカップインさせると言うものすごいことなのです。
(距離は約150ヤード、メートルでは約135メートル)
そして、3打でPARのホールですから、
そのホールを1打で入れればそのホールでは-2打になりますから、
イーグルと言うことになります。
3打で入れることができれば正直アマチュアゴルファーではすごいことなのですが、
それを1打で入れると言う神がかったことなのです。
ホールインワンが出る確率と言うのが1/1万2000ですから数字からも「ありえない」というのがわかってもらえると思います。
ホールインワンのすごさが分かっていただいたところで話をもどします。
私は自分で商売するまでは
吹田で古くからあるステーキ小万という店で働いていました。
その店は結構、裕福なお客さんが多く、
当時ゴルフをされている常連さんも沢山いました。
肉を焼くだけの店ではなく、
話をしてコミュニケーションをとっていくような店なので、
お客さんとの会話を増やすためにもゴルフをはじめました。
そこそこコースを回れるようになったある日、
お客さんから一緒に行こうとゴルフに誘われました。
それは、お客さんのゴルフクラブ主催の競技でメンバーと
ペアーを組んでスコアーを競うものでした。
その日は、調子が悪く午前中はたくさんたたきました。
昼から、がんばるぞ!
ひとホール目はパーです。いい感じ!
ふたホール目は、ショートホール(パー3)で下りの180ヤードです。
いつもでしたら6番アイアンを持つところですが、
キャディさんから
「今日のあなたはよく飛んでいるので7番アイアンがいい」
といわれ7番を使いました。
そして、セットアップしてアドレスし、
スイングに入るまで不思議なくらいスムーズに体が動きました。
なぜかスイングも体が勝手に動いている感じでスムーズでした。
イメージ通り、の弾道だったのでグリーンオンしたタイミングでピンを拾っていました。
次の瞬間、周りの人が急にざわめきだし、
「はいった」「はいった」といっています。
私は、「はいった」て、なにがはいったのやら即座にわからず
どうしたの、なにがあったの?と
ポーとしていたら「ホールインワンや!」と聞こえ
ことの重要性に気が付きました。
それでも信じられずに
「あのピンの後ろにボールがかくれてとちがうの」言ってしまいましたが、、
きっちり入っていました。
「まじ、本当に」どうしたらいいのだろう?
ホールインワン保険に入っていたっけ?謝礼はどうしたらいいのか?
などいろいろ考えているから、それからボロボロでスコアーになりませんでした。
クラブハウスに帰ってきたらメンバーさんが
すぐにこれでキャディーさんにお礼しておいでと1万円を握らせてくれました。
「まず、一安心」
今日はゴルフが終わっても、店に帰って仕事です。
たいへんです。一緒にゴルフをした人が店にきます。
全部、私のおごりなのです。
しかもびっくりすることに、
知らないうちにうちのマスターが私のゴルフ仲間をよんでいました。
もちろん、その人たちの分もおごりです。
でも、変な感じですよ。
私のお金でほかの店に食べに行くならよくわかりますが、
私のお金で肉を焼き食べてもらい、ビールをおごり、
喜ぶのは、売り上げが上がるマスターばかりです。
ビールで乾杯するとき「いただきます」といつもの癖で言ってしまいましたが、
よく考えると、「これって、おれの金とちがうん」!
なんやかんやで、たいへんな一日でした。
おかげさまで、ホールインワン保険は50万保障にはいっていましたから
ちなみに、ホールインワンは事故扱いです。。
うれしいような、かなしいような?思い出話でした。
2017年8月24日木曜日
正論について
お盆に実家に戻った時に
母親から「タイカレーの缶詰が辛すぎるから持って帰って」と言われ
3缶もかばんに詰め込まれてしまいました。
代表の生熊です。
カレーを辛すぎると言われても・・・
という感じですが^^;;
70代の母親にはタイカレー独特の辛さが
物凄い刺激のように感じられたようです。
持って帰って食べたのですが、
いたって普通のタイカレーでした。
美味しかったです^^
さて、今回から2回にわけて
「わかっているけど難しいこと」
について最近考えていることをシェアしたいと思います。
今回は「正論について」です。
私は20代後半でカウンセラーの勉強を始めるまでは
「正論」以上に正しいことはないと思っていました。
例えば学校などで
「廊下は走らないこと」というルールがあれば、
とにかくそれに従うのが正しいと信じていました。
でも、自分では「廊下は走っちゃだめでしょ」という勇気もなく
「廊下を走っている人」を見るとただ悶々と以下のようなことを考えていました。
廊下は走っちゃいけないのに、
・なぜあの人は走っているのか
・なぜ誰も注意せず当たり前のような空気になっているのか
・廊下を走っているのを注意されず受け入れられるんだったら、そもそもなんでそんなルールがあるんだろうか
走っている人への「嫌悪」や「怒り」
周囲への「不信」「苛立ち」
そしてルールそのものやルールを作る学校への「強い不信」「絶望感」
そんなものが体内で渦巻いて
そして最終的にどうなるかと
私は「走ればいいのか」「歩けばいいのか」わからなくなり
ぐるぐる考えすぎて廊下に立ち尽くします。
他にも「授業中は静かに」「給食は残さない」など学校生活はこの類のオンパレードでした。
学校生活が終わっても
「正しい」とされている事がまったくもって守られておらず
それがまかり通ってしまう事への「不信」から
どうすればいいのかわからなくなってしまうという繰り返しは度々起きました。
よく見かけるのは「信号無視」ですよね。
特に関西は多いと思います^^;;;
私は「信号無視」をしている人を見かけると
歩行者の「信号無視」がこれだけあるのだから、
きっと車に乗っている人の「信号無視」も数多くあって
例えば、私がルールを守って「青信号」で横断歩道を渡っていても
信号無視をした車にはねられる可能性があるんだ・・・・
と思うと怖くて街を歩けなかった時期もあります。
ここでポイントになるのが「ルール」ですよね。
「ルール(規則)」というのは
ある集団の活動をよりスムーズに気持ちよく行うために設けられた決まりごとのことです。
ある集団というのは国家という大きなくくりから、家庭や恋愛、あるいは個人までさまざまありますが
「ルール」がないと無秩序な状態に陥り、危険が増幅し、混乱や争い、略奪などが起こり
集団を維持できなくなります。
それを考えると「わざわざルールとして決めておかないといけない」というのは
人間は危険と知っていてもやってしまう可能性が非常に高い「衝動的」な行動をしてしまうから
という理由なのでしょう。
つまり「廊下は走らない」と決めているのは
「廊下を走りたい」あるいは「廊下を走ってしまう」人が多く事故の危険性があるから。
ルールの側からすると
人間は「廊下を走りたく」なってしまう「衝動」を持っているから
わざわざルールにした、という構図。
つまり「ルール」は破られやすさをはらんでいる、という事なんですね。
その昔「ゴミはゴミ箱へ」という至極あたりまえな標語をあちこちで見かけましたが、
社会人になってから「ゴミをゴミ箱へ」捨てない人の多さにびっくりしました。
机の上にゴミを乗せたままの人、隅っこに寄せているだけの人、その場にポイ捨てする人。。
正に「ルール」は破られやすさをはらんでいて、
人間は不衛生になる危険を知っていても衝動的にゴミを捨てるのは面倒に思ってしまうのだな、と感じます。
ではこういった人たちに「正論」で
「ゴミはゴミ箱に捨てなあかんやろ」と言ったらどうなると思いますか?
「わかってるわ!!」
「うるさいなぁー」
「ゴミくらいええやん」
こんな言葉が返ってきそうですね。
あるいは「そんなに言うんやったらあんたが捨ててよ!」という人もいるかもしれません。
中には「ごめん、その通りやわ、ゴミはゴミ箱に捨てるね」といってゴミ箱に捨ててくれる人もいるでしょう。
10人いれば10通りの反応があると思います。
「ゴミをゴミ箱に捨てない」多くの人は
「ルールはわかっているけど何らかの事情がありそのように出来なかった」
という状況なのだと思います。
「正論」は正にはじめの部分「ルールはわかっている」の部分だけをピックアップして
指摘することになります。
しかし、実はルールを破った本人が聞いて欲しいのは
「何らかの事情」という部分だったりするのです。
その「事情」を汲み取らずに「ルールを破っている」という部分だけを指摘されれば
「何やねん、人の気も知らないで!」と反発したくなってしまうのでしょう。
それと同時に「正論」を伝える側の声のトーンだったり、感情だったり、立場だったりで
これまた「反応」も全く違ったものになると思います。
あるいは「ゴミをゴミ箱に捨てる」というルールそのものが身についていない人や
それがルールとは知らない人も中にはいたりします。
食べ散らかしや、部屋の隅にゴミを溜め込む人などは
これまでの生育暦の中で
「誰かが食べ散らかしやゴミを捨ててくれていた」のです。
自らの手で「ゴミ」を捨てる経験が極端に少なかったため
「ゴミをゴミ箱に捨てる」という習慣が身についていません。
つまり、ルールを破るという気が本人にはありません。
そこに「ゴミはゴミ箱に捨てなあかんやろ!」と「正論」をぶつけても
「へ?そうなの??」という状態になります。
他にも外国から来た旅行者は、ゴミ箱のルールそのものが日本で暮らす人と違うので
捨てちゃいけないものを捨ててみたり、捨てちゃいけないところに捨てたりします。
そんな人には「正論」云々というよりはルールそのものを説明する必要があります。
こうなると「正論」そのものが
絶対的な「正義」ではないという事が浮かび上がってきます。
そうなんです。
ルールが人の手で作られた以上は、「正論」もその集団の中でしか効力をもちません。
しかし、ルールはお互いが気持ちよく過ごしたり、暮らしたり、活動するために設けられているはずです。
それを自覚して「正論」を使うことが求められます。
ルールを破る者についての「事情」を推し量ることは
「正論」が「正論」足りえる効力を持つためにもとても重要です。
「事情」について傾聴された人は、意外にその後ルールを理解し実践するようになります。
そうなればみんなが気持ちよく過ごせるようになる。
社会や国家そのものの構図は中々変えることができないかもしれませんが、
※それに立ち向かう「正論」の運動もこれまた大切ではありますが、、
二者間や身近なところから
お互いを「信頼」しあえる関係を築いていけたらいいな、と思っています。
母親から「タイカレーの缶詰が辛すぎるから持って帰って」と言われ
3缶もかばんに詰め込まれてしまいました。
代表の生熊です。
カレーを辛すぎると言われても・・・
という感じですが^^;;
70代の母親にはタイカレー独特の辛さが
物凄い刺激のように感じられたようです。
持って帰って食べたのですが、
いたって普通のタイカレーでした。
美味しかったです^^
さて、今回から2回にわけて
「わかっているけど難しいこと」
について最近考えていることをシェアしたいと思います。
今回は「正論について」です。
私は20代後半でカウンセラーの勉強を始めるまでは
「正論」以上に正しいことはないと思っていました。
例えば学校などで
「廊下は走らないこと」というルールがあれば、
とにかくそれに従うのが正しいと信じていました。
でも、自分では「廊下は走っちゃだめでしょ」という勇気もなく
「廊下を走っている人」を見るとただ悶々と以下のようなことを考えていました。
廊下は走っちゃいけないのに、
・なぜあの人は走っているのか
・なぜ誰も注意せず当たり前のような空気になっているのか
・廊下を走っているのを注意されず受け入れられるんだったら、そもそもなんでそんなルールがあるんだろうか
走っている人への「嫌悪」や「怒り」
周囲への「不信」「苛立ち」
そしてルールそのものやルールを作る学校への「強い不信」「絶望感」
そんなものが体内で渦巻いて
そして最終的にどうなるかと
私は「走ればいいのか」「歩けばいいのか」わからなくなり
ぐるぐる考えすぎて廊下に立ち尽くします。
他にも「授業中は静かに」「給食は残さない」など学校生活はこの類のオンパレードでした。
学校生活が終わっても
「正しい」とされている事がまったくもって守られておらず
それがまかり通ってしまう事への「不信」から
どうすればいいのかわからなくなってしまうという繰り返しは度々起きました。
よく見かけるのは「信号無視」ですよね。
特に関西は多いと思います^^;;;
私は「信号無視」をしている人を見かけると
歩行者の「信号無視」がこれだけあるのだから、
きっと車に乗っている人の「信号無視」も数多くあって
例えば、私がルールを守って「青信号」で横断歩道を渡っていても
信号無視をした車にはねられる可能性があるんだ・・・・
と思うと怖くて街を歩けなかった時期もあります。
ここでポイントになるのが「ルール」ですよね。
「ルール(規則)」というのは
ある集団の活動をよりスムーズに気持ちよく行うために設けられた決まりごとのことです。
ある集団というのは国家という大きなくくりから、家庭や恋愛、あるいは個人までさまざまありますが
「ルール」がないと無秩序な状態に陥り、危険が増幅し、混乱や争い、略奪などが起こり
集団を維持できなくなります。
それを考えると「わざわざルールとして決めておかないといけない」というのは
人間は危険と知っていてもやってしまう可能性が非常に高い「衝動的」な行動をしてしまうから
という理由なのでしょう。
つまり「廊下は走らない」と決めているのは
「廊下を走りたい」あるいは「廊下を走ってしまう」人が多く事故の危険性があるから。
ルールの側からすると
人間は「廊下を走りたく」なってしまう「衝動」を持っているから
わざわざルールにした、という構図。
つまり「ルール」は破られやすさをはらんでいる、という事なんですね。
その昔「ゴミはゴミ箱へ」という至極あたりまえな標語をあちこちで見かけましたが、
社会人になってから「ゴミをゴミ箱へ」捨てない人の多さにびっくりしました。
机の上にゴミを乗せたままの人、隅っこに寄せているだけの人、その場にポイ捨てする人。。
正に「ルール」は破られやすさをはらんでいて、
人間は不衛生になる危険を知っていても衝動的にゴミを捨てるのは面倒に思ってしまうのだな、と感じます。
ではこういった人たちに「正論」で
「ゴミはゴミ箱に捨てなあかんやろ」と言ったらどうなると思いますか?
「わかってるわ!!」
「うるさいなぁー」
「ゴミくらいええやん」
こんな言葉が返ってきそうですね。
あるいは「そんなに言うんやったらあんたが捨ててよ!」という人もいるかもしれません。
中には「ごめん、その通りやわ、ゴミはゴミ箱に捨てるね」といってゴミ箱に捨ててくれる人もいるでしょう。
10人いれば10通りの反応があると思います。
「ゴミをゴミ箱に捨てない」多くの人は
「ルールはわかっているけど何らかの事情がありそのように出来なかった」
という状況なのだと思います。
「正論」は正にはじめの部分「ルールはわかっている」の部分だけをピックアップして
指摘することになります。
しかし、実はルールを破った本人が聞いて欲しいのは
「何らかの事情」という部分だったりするのです。
その「事情」を汲み取らずに「ルールを破っている」という部分だけを指摘されれば
「何やねん、人の気も知らないで!」と反発したくなってしまうのでしょう。
それと同時に「正論」を伝える側の声のトーンだったり、感情だったり、立場だったりで
これまた「反応」も全く違ったものになると思います。
あるいは「ゴミをゴミ箱に捨てる」というルールそのものが身についていない人や
それがルールとは知らない人も中にはいたりします。
食べ散らかしや、部屋の隅にゴミを溜め込む人などは
これまでの生育暦の中で
「誰かが食べ散らかしやゴミを捨ててくれていた」のです。
自らの手で「ゴミ」を捨てる経験が極端に少なかったため
「ゴミをゴミ箱に捨てる」という習慣が身についていません。
つまり、ルールを破るという気が本人にはありません。
そこに「ゴミはゴミ箱に捨てなあかんやろ!」と「正論」をぶつけても
「へ?そうなの??」という状態になります。
他にも外国から来た旅行者は、ゴミ箱のルールそのものが日本で暮らす人と違うので
捨てちゃいけないものを捨ててみたり、捨てちゃいけないところに捨てたりします。
そんな人には「正論」云々というよりはルールそのものを説明する必要があります。
こうなると「正論」そのものが
絶対的な「正義」ではないという事が浮かび上がってきます。
そうなんです。
ルールが人の手で作られた以上は、「正論」もその集団の中でしか効力をもちません。
しかし、ルールはお互いが気持ちよく過ごしたり、暮らしたり、活動するために設けられているはずです。
それを自覚して「正論」を使うことが求められます。
ルールを破る者についての「事情」を推し量ることは
「正論」が「正論」足りえる効力を持つためにもとても重要です。
「事情」について傾聴された人は、意外にその後ルールを理解し実践するようになります。
そうなればみんなが気持ちよく過ごせるようになる。
社会や国家そのものの構図は中々変えることができないかもしれませんが、
※それに立ち向かう「正論」の運動もこれまた大切ではありますが、、
二者間や身近なところから
お互いを「信頼」しあえる関係を築いていけたらいいな、と思っています。
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