2017年4月21日金曜日

私の宝物

私は高校時代、硬式野球部に所属していました。
わたしたちの代はあまり強くありませんでしたが、
ひとつ上の先輩は夏野県予選大会では準優勝までいきました。
あとひとつ勝てば甲子園というところまでいきました。
あの名古屋の愛工大名電と練習試合でいい勝負していたので確かに強かったですね。
ちなみに私たちは、県予選敗退でした。

野球部の思い出といえば辛いことばかりですね。
特に一年生の頃がきつかったですね。
監督の機嫌が悪かったら、先輩たちも機嫌も悪くなり、すぐダービーです。
ダービーとは、一年生全員で走らせ上位三人までゆるす、
そんな方法で何回も走らせるしごきです。
また、コンクリートの床の上で正座させられ、昏々と説教です。
こんなことは高校のクラブでは日常茶飯事だと思います。
もちろん、三年生の時にはわたしたちもしごきをしましたけど。

でも、一番の思い出は、二年の夏の合宿の練習で監督のけつバット、一日二発です。
お尻を見たら、数学のイコールのようにミミズバレでくっきり。

そんな思いでを毎年正月に私たちの代の連中が集まって話しながらお酒を飲んでいます。

六年前の春に左足切断したので、次の正月には仮義足の状態で
その年の野球部の同窓会には参加できませんでした。
そしたら、その同窓会の場から電話がかかってきました。
「おーい、生きとるか」「どうや、体の調子は」
ほんとうにうれしかった。

そして、その年の成人の日にわざわざ岐阜からワンボックスカーに乗ってみんなが見舞いに来てくれ、昼ごはんを食べながら、昔の話を咲かせました。
帰りは玄関口まで送ってくれて、同期の野球部の連中の顔を見ている私の眼には涙が溢れていました。

言うまでもなく、この同期の野球部の連中が宝物です。
ちなみに、今、会えば病気の話や子供の結婚、孫の話になっています。

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