2017年3月9日木曜日

ひらめきの転機 

支援員の竹下陽一(昭和38年12月28日生まれ)です。
この職に就いて一年半になります。
今年54歳になる私が、なぜここで働くことになったのかのお話をします。

私は昔から運命の分かれ道ともいうべき重要な選択に迫られたとき、
選ぶべき方向がすぐにひらめきます。
若いときは
周りに押されて、「そうかな・・・?」と思いながら
意に反して選んだこともありますが、

そんなときはたいていうまくいきませんでした。

それ以来、なんでも自分で決めることにしています。

大学を卒業して就職するときも
両親は安定したところを望んでいたようですが、
本好きが高じて中小の書店に就職しました。

本を読むという中身以外に
装丁などを含めた本そのものが好きで
それらに囲まれた空間で仕事がしたかったのと
本を買う人の気持ちに立って販売できるというのが理由でした。

バブル崩壊、消費税導入、消費税増税、リーマンショック・・・
と消費に影響を受けたものの何とか乗り切ってきましたが

15年ぐらい前から一般家庭に広く普及し始めた
「インターネット」が情報にとってかわり始め、
主に扱う出版物の販売収益はしだいに減少し数年前から運営が厳しくなってきました。

予想していたとおり会社は事業を縮小し希望退職者を募集する事になったのです。
私は例のごとくひらめいて迷わず退職しました。

私の父は20年前に
ミエロパチーという歩行が困難なる神経障害になり、
私は一人暮らしをやめて実家で母と一緒に父の入浴やトイレの世話をし、
休みの日にはリハビリの勉強をしに病院に連れて行くという生活をしていました。

私が会社に行っているときは母が家で商売をしながら父の面倒をみていたので、
母にはずいぶん負担をかけてしまいました。
私は母に負担をかけるのがつらかったのです。

そのため父のリハビリにはたいへん厳く接しました。
そんな母も6年前に父が他界すると
ホッとしたのか活力がなくなってきたような気がしていました。
そんな時期の退職だったのです。

 今まで朝早くから夜遅くまで働いてきたので、
退職して急に時間ができるといろいろと思い返したりして、
亡くなった父にもっと優しくして、
もっと何か他にできたのではないかという後悔の念が沸き起こってきました。

「障害者の手助けができる仕事がしたい」
そんなひらめきの中で選んだのが、このJiRiTsという会社なのです。


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